札幌地方裁判所 昭和43年(も)67号・昭43年(も)35号・昭43年(も)60号 判決
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〔判決理由〕(罪となるべき事実)
被告人は、<中略>第一、(1)昭和四一年一〇月一一日午後二時三〇分ごろ札幌市豊平二条四丁目大和荘一号室宝崎菊雄方居室において、窃盗の目的でたんすなどを物色したが、めぼしいものが見当らなかつたためその目的を遂げず、(2)引き続、右同所を立ち去ろうとしたところ、右大和荘に居住する吉崎スマ子(当時二六才)に発見されたため逃走したが、その際右大和荘玄関前において被告人に追いすがつてそのからだに手をかけた同女をふりはなそうとして、当時ビニール製鞄(書籍四冊入り)の把手に腕をとおしたままであつた右手で同女の手をつかんでふりほどこうともがいたため、その際の右暴行によつて同女に対し全治まで約五日間を要する前頭部、左腰部打撲症の傷害を与え、<中略>たものである。
(強盗致傷罪を認めなかつた理由)
当裁判所が窃盗未遂・傷害として認定した判示第一の(1)、(2)の点について、検察官は強盗致傷の訴因をかかげ、その公訴事実としてつぎのとおり主張する。すなわち、被告人は判示第一の(1)のとおり窃盗の目的を遂げず、前記犯行の現場から逃走しようとしたところ、吉岡スマ子に発見され、逮捕を免れるため大和荘玄関において同女を突き倒し、さらに追跡する同女に対し、同玄関前において同女の顔面を判示鞄で一回殴打し転倒した同女の左腰部を一回足蹴にするなどの暴行を加え、同女の反抗を抑圧して逃走し、その際右暴行により同女に対し前示第一の(2)のとおりの傷害を与えたものである。したがつて被告人の右所為は刑法二四〇条前段、二三八条に該当するというのである。
右のうち被告人が判示第一の(1)の日時、場所において判示のとおり窃盗の目的を遂げなかつたことは争いないところであるが、暴行および傷害の点については、証拠上必らずしも明確でない点がある。被告人は捜査段階においては、被害者を殴つたり、突きとばしたり、蹴つたりしたことがあるかの如き供述をしているものの(被告人の司法警察員に対する昭和四二年一二月二七日付供述調書ならびに検察官に対する同四三年一月一六日付供述調書)、公判廷においてはこの点を否定し、玄関の内と外とで各一回ずつ鞄をふりはらつたことがあるにすぎないと述べている。一方被害者である吉岡スマ子も公判廷においては、玄関内のことについて、最初は鞄をつかもうとしたらふりはなされて転倒したと述べながら、のちには何かあつたことは覚えているがその時尻もちをついたかどうかは覚えていないと述べているにすぎず、また玄関の外でのことについても、被告人の足をつかんだ時に転倒したが、起き上つてみたら顔と腰が痛いのに気がついた、ただこの時は鞄でやられたか、手でやられたかなどの具体的な状況はわからないと述べているにすぎない。そして、吉岡マス子の右供述には、自己の経験した事実を記憶にあるかぎり、きわめて率直に述べている態度がうかがえる一方、前記被告人の捜査段階における供述は、一瞬の間における出来事を、一年以上も経過した後によみがえらせようとしたものであり、公判廷での供述と対比してみると、被告人が記憶にもとづく明確な事実を述べたというよりは、むしろ捜査官に指摘されたところに従つて、不確かな事実を推測的に述べたにすぎないのではないかと考える余地がある。その他右の点を明らかにするに足る証拠はなく、いずれにしろ、被告人が吉岡スマ子を突き倒し、あるいは足で蹴つたような事実は証拠上確定することができない。
しかしながら、被告人が前記窃盗未遂の犯行後、右吉岡から詰問されて犯行が発覚しそうになつたため、急きよ玄関へとつて返し靴をはこうとしていた際に、追跡した同女から手に持つていた鞄をつかまれ、これをふりはなした事実。またその直後被告人が右手に鞄を持ち、左手に靴を持つてはだしのまま玄関をとび出し二メートルほど行つて再び靴をはこうとした際に、再度同女が追いついて被告人のからだをつかんだので、これをひきはなすために被告人が右手に持つていた鞄の握りの部分を右腕に通し、自由になつた右手を後にまわして同女の手を後方にふりはらつた事実は、いずれも前掲各証拠により認められるところである。ところで、右のような被告人の行為は、少なくとも吉岡スマ子に向けられた有形力の行使というに足るものではあるが、たとい逮捕を免れるためとはいえ、鞄をふりはなし、あるいはまた右手でふりはらつたというのも、いずれも右吉岡に対しては積極的に攻撃を加えたというのではなく、鞄をつかまれ、あるいはからだの一部をつかまれたのをふり切つたというに等しいものである。換言すれば、逃走する犯人が追手の手をのがれるために本能的に発現する自然的な行為ともいいうるものであつて、この程度に止まる行為は社会通念上一般に逮捕者の意思を制圧するに足るものとは考えられないというべきである。しかも、本件の具体的な事案のもとにおいても、転倒した前記吉岡はなおも継続して被告人を追跡する意思はあり、現にその後も追い続けたが、被告人の逃げ足が走く、すでに遠方に去つていたために追いかけることをあきらめたというに近い状況が証拠上認められるのである。したがつて、被告人の前記認定の行為は、暴行罪にいう暴行としては評価しうるにしても、そのうえ事後強盗罪における暴行(通常の強盗罪におけると同様、逮捕者もしくは財物取還者の意思を制圧する罪におけると同様、逮捕者もしくは財物取還者の意思を制圧するに足る程度のものであることを要する。)にあたるものといえるかどうかははなはだ疑問であり、むしろ右に述べたような理由からこれを否定するのが相当である。(萩原寿雄 秋山規雄 新村正人)